妙法蓮華経方便品ほうべんぽん 第二


  その時に釈尊はゆっくりと目を開かれ、※1舎利弗しゃりほつに言われました。

   佛の智慧とは唯々ただただ深く、入り難く理解し難いものです。
   ※2声聞しょうもん※3縁覚えんがくの者が知るところではありません。
   深遠しんえんな仏法は人それぞれに
   応じて説かれるが故に、その意は理解し難いのです。
   舎利弗しゃりほつよ。
   私は悟りを得て以来、多くの譬喩ひゆを用いて人々を導いてきました。
   なぜなら、佛は智慧を成就じょうじゅし、あらゆる仏法を語ることができるからです。
   佛の言葉は柔らかく、人々の心をよろこばせるのです。

   しかし、もはや語るのをやめましょう。
   佛の法は最も稀有けうで難しく、ただ 佛と佛のみが
   その真の姿を理解しあえるからです。

    真実において、全ては
    そのそう(姿)のごとくあり、
    そのしょう(性質)のごとくあり、
    そのたい(形)のごとくあり、
    そのりき(能力)のごとくあり、
    その(作用)のごとくあり、
    そのいん(過去の由来)のごとくあり、
    そのえん(現在の状況)のごとくあり、
    その(因による結果)のごとくあり、
    そのほう(未来のありかた)のごとくあり、
    そして全ては、究極において等しいのです。

   この佛の智慧を良く理解する者は無く、あらわす事ははなはだ難しく、
   言葉では言いあらわすことができないのです。
   たとえ、多くの佛を供養してきた者が※4恒河沙ごうがしゃのごとくいたとしても、
   この智慧を知ることは、できないのです。
   ただ、私と十方の佛のみが、これを知っているのです。

  この時、その場に居た人々は、このように思いました。
 「なぜ世尊は真実の法は語れないと言われるのであろう。
  我々は、すでに仏法を学び、それによって、心の平安を得ているではないか。」
  舎利弗しゃりほつもこのように思い、釈尊にたずねました。
 「我等われらは、今までそのような法を聞いたことはありません。
  ここに居る者は、皆、疑念ぎねんに思っております。
  そして、その無上の教えを聞きたいと願っております。」

   すると釈尊は言われました。

    みなん、みなん、またくべからず。
    かば、一切世間いっさいせけん諸天しょてんおよにん
    みな まさ驚疑きょうぎすべし。

  しかし、舎利弗しゃりほつは、再び誓願せいがんしました。
 「ただその法をこそお説きください。
  ここに居る者は、皆、かつて佛を供養し、よく仏法を信受しんじゅする者ばかりであります。」

  ところが釈尊はこのように言われました。
   「いえ、説くことはできないのです。
    この法は理解し難く、※5増上慢ぞうじょうまんの者は必ず疑いを持つでしょう。」

  しかし、舎利弗しゃりほつは、三度みたび 誓願せいがんしたのです。
 「その第一の法をお説きください。
  唯々ただただその法をこそお説きください。
  その法を聞いた者は、必ずや心に大きな喜びを得るでしょう。」

 この時、五千人の者が釈尊を礼拝した後、立ち去ったのです。
 この五千人の人々は、得ていないものを得ていると思い、
 増上慢ぞうじょうまんであったが故に立ち去ったのです。
 釈尊は彼らを止めようとは、なさりませんでした。

    舎利弗しゃりほつ
    かくごと増上慢ぞうじょうまんひと退しりぞくも、また
    なんじいまけ、
    まさに、なんじためくべし

  そして釈尊はこのように語られました。
    佛がこの妙法を説くのは、※6優曇華うどんけの花のようにまれなのです。
    佛の言葉は、※7虚妄こもうではありません。
    私は数多くの方便や、譬喩ひゆをもって法を説きますが、
    その真意は、推察すいさつの域を超えており、佛のみ分かりあえます。
    なぜなら、佛は一大事いちだいじ因縁いんねんによって、世に出現するのです。

    諸佛しょぶつ世尊せそんは、
    衆生しゅじょうをして、※8佛知見ぶっちけんひらかしめ 
    清浄しょうじょうなることを、せしめんとほっするがゆえに、出現しゅつげんしたまう
    衆生しゅじょうをして、佛知見ぶっちけんしめさんとほっするがゆえ出現しゅつげんしたまう
    衆生しゅじょうをして、佛知見ぶっちけんさとらしめんとほっするがゆえ出現しゅつげんしたまう
    衆生しゅじょうをして、佛知見ぶっちけんどうらしめんとほっするがゆえ出現しゅつげんしたまう
    舎利弗しゃりほつ
    れを諸佛しょぶつは、ただ一大事いちだいじ因縁いんねんもってのゆえに、出現しゅつげんしたまうとなづく

    一偈一句いちげいっくでも、この法を聞けば、皆、佛となれることは疑いありません。

    佛は※9一仏乗いちぶつじょうを人々に説き、仏道へと導きます。
    諸佛の法も全て、一仏乗いちぶつじょうに導く為の法なのです。
    そしてこの妙法を聞く者は、すべて佛の智慧を得ることができるのです。
    私は、人々が、欲や執着心しゅうちゃくしんにとらわれていることを知っており、それに従って法を説きます。
    佛は、※10五濁ごじょくの悪世に出現するのです。
    この時の人々は苦しみが多く、むさぼりの心をもって悪行を行ないます。
    また、虚妄こもうの法を信じて、捨てることはありません。
    このような人は導きがたいのです。
    それゆえ、佛は譬喩ひゆを用いて、多くの法を説くのです。
    もし、私の弟子の中で、自らが声聞しょうもん縁覚えんがくであると思っている者は、佛弟子ではありません。  
    自らのさとりのみを求め、すべての人々を救う心を求めない者は、増上慢ぞうじょうまんなのです。  

    もし佛が亡くなった後に、
    佛を供養するため寶塔ほうとうを建てる者、この人は仏道をじょうずるでしょう。
    どんな塔でもかまいません。
    たとえば、童子どうじたわむれに砂で造った塔でも良いのです。
    また、佛の像を建立する者も、仏道をじょうずるでしょう。
    どのような仏像でもかまいません。
    たとえ、童子どうじが指で画いた仏像でも良いのです。
    これらの人は功徳を積み、仏道をじょうじて菩薩となって、数多くの人々を導くでしょう。
    それらの寶塔ほうとう・仏像を妙音みょうおんでもって供養する者、また花々を供える者、
    あるいは、合掌する者、少しこうべれ、これをもって、供養とする者、
    これらの人々は、無量の佛に出会い、仏道をじょうずるのです。

    私から見れば、人々は欲におぼれ、盲目もうもくのように見えるのです。
    少智しょうちの者は小法しょうぼうを願い、自ら佛と成れる事を信じません。
    ですが、皆、仏種ぶっしゅを持っており、仏種ぶっしゅは、縁によって起こるのです。

    鈊根小智どんごんしょうちひと著相?慢じゃくそうきょうまんものは、
    ほうしんずることあたわず
    いまわれ正直しょうじき方便ほうべんてて、ただ無上道むじょうどう

    佛が世にあらわれることは本当に少なく、出会うことは また 難しいのです。
    世の悪人はこの一乗いちじょうを聞いても信受しんじゅすることなく、
    法をそしり 悪道へとちてしまうでしょう。

    舎利弗しゃりほつよ。
    佛の法とは万億まんおくという※11方便を用いて語られますが、ただ 一仏乗いちぶつじょうを説くのです。
    あなたは自ら佛と成れることを、喜びをもって受け入れなさい。

 妙法蓮華経巻第一

    (妙法蓮華経譬喩品第三へ続く)

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   ※1 十大弟子の一人、智慧第一といわれる
   ※2 自己の悟りだけを求める者
   ※3 一人で悟りを得ようとする者
   ※4 ガンジス河の砂の数のこと
   ※5 高慢こうまん自惚うぬぼれ ている者
   ※6 三千年に一度咲くといわれる伝説の花
   ※7 いつわり・むなし い
   ※8 佛の智慧・悟り
   ※9 語句の説明参照
   ※10 悪徳がはびこり、よこしまな考えが満ちている乱れた世の中
   ※11 方便とは嘘ではなく、「真実の言い換え」・「巧妙な手段」という意味である。