その時に釈尊はゆっくりと目を開かれ、※1舎利弗に言われました。 佛の智慧とは唯々深く、入り難く理解し難いものです。 ※2声聞・※3縁覚の者が知るところではありません。 深遠な仏法は人それぞれに 応じて説かれるが故に、その意は理解し難いのです。 舎利弗よ。 私は悟りを得て以来、多くの譬喩を用いて人々を導いてきました。 なぜなら、佛は智慧を成就し、あらゆる仏法を語ることができるからです。 佛の言葉は柔らかく、人々の心を歓ばせるのです。 しかし、もはや語るのをやめましょう。 佛の法は最も稀有で難しく、唯 佛と佛のみが その真の姿を理解しあえるからです。 真実において、全ては その相(姿)のごとくあり、 その性(性質)のごとくあり、 その体(形)のごとくあり、 その力(能力)のごとくあり、 その作(作用)のごとくあり、 その因(過去の由来)のごとくあり、 その縁(現在の状況)のごとくあり、 その果(因による結果)のごとくあり、 その報(未来のありかた)のごとくあり、 そして全ては、究極において等しいのです。 この佛の智慧を良く理解する者は無く、顕わす事は甚だ難しく、 言葉では言い顕わすことができないのです。 たとえ、多くの佛を供養してきた者が※4恒河沙のごとくいたとしても、 この智慧を知ることは、できないのです。 唯、私と十方の佛のみが、これを知っているのです。 この時、その場に居た人々は、このように思いました。 「なぜ世尊は真実の法は語れないと言われるのであろう。 我々は、すでに仏法を学び、それによって、心の平安を得ているではないか。」 舎利弗もこのように思い、釈尊に尋ねました。 「我等は、今までそのような法を聞いたことはありません。 ここに居る者は、皆、疑念に思っております。 そして、その無上の教えを聞きたいと願っております。」 すると釈尊は言われました。 止みなん、止みなん、復説くべからず。 若し是の事を説かば、一切世間の諸天及び人 皆 當に驚疑すべし。 しかし、舎利弗は、再び誓願しました。 「唯その法をこそお説きください。 ここに居る者は、皆、かつて佛を供養し、よく仏法を信受する者ばかりであります。」 ところが釈尊はこのように言われました。 「いえ、説くことはできないのです。 この法は理解し難く、※5増上慢の者は必ず疑いを持つでしょう。」 しかし、舎利弗は、三度 誓願したのです。 「その第一の法をお説きください。 唯々その法をこそお説きください。 その法を聞いた者は、必ずや心に大きな喜びを得るでしょう。」 この時、五千人の者が釈尊を礼拝した後、立ち去ったのです。 この五千人の人々は、得ていないものを得ていると思い、 増上慢であったが故に立ち去ったのです。 釈尊は彼らを止めようとは、なさりませんでした。 舎利弗。 是の如き増上慢の人は退くも、亦良し 汝、今善く聴け、 當に、汝が為に説くべし そして釈尊はこのように語られました。 佛がこの妙法を説くのは、※6優曇華の花のように稀なのです。 佛の言葉は、※7虚妄ではありません。 私は数多くの方便や、譬喩をもって法を説きますが、 その真意は、推察の域を超えており、佛のみ分かりあえます。 なぜなら、佛は一大事の因縁によって、世に出現するのです。 諸佛世尊は、 衆生をして、※8佛知見を開かしめ 清浄なることを、得せしめんと欲するが故に、世に出現したまう 衆生をして、佛知見を示さんと欲するが故に世に出現したまう 衆生をして、佛知見を悟らしめんと欲するが故に世に出現したまう 衆生をして、佛知見の道に入らしめんと欲するが故に世に出現したまう 舎利弗。 是れを諸佛は、唯一大事の因縁を以ての故に、世に出現したまうとなづく 一偈一句でも、この法を聞けば、皆、佛となれることは疑いありません。 佛は※9一仏乗を人々に説き、仏道へと導きます。 諸佛の法も全て、一仏乗に導く為の法なのです。 そしてこの妙法を聞く者は、すべて佛の智慧を得ることができるのです。 私は、人々が、欲や執着心にとらわれていることを知っており、それに従って法を説きます。 佛は、※10五濁の悪世に出現するのです。 この時の人々は苦しみが多く、貪りの心をもって悪行を行ないます。 また、虚妄の法を信じて、捨てることはありません。 このような人は導き難いのです。 それゆえ、佛は譬喩を用いて、多くの法を説くのです。 もし、私の弟子の中で、自らが声聞・縁覚であると思っている者は、佛弟子ではありません。 自らの悟りのみを求め、すべての人々を救う心を求めない者は、増上慢なのです。 もし佛が亡くなった後に、 佛を供養するため寶塔を建てる者、この人は仏道を成ずるでしょう。 どんな塔でもかまいません。 たとえば、童子が戯れに砂で造った塔でも良いのです。 また、佛の像を建立する者も、仏道を成ずるでしょう。 どのような仏像でもかまいません。 たとえ、童子が指で画いた仏像でも良いのです。 これらの人は功徳を積み、仏道を成じて菩薩となって、数多くの人々を導くでしょう。 それらの寶塔・仏像を妙音でもって供養する者、また花々を供える者、 あるいは、合掌する者、少し頭を低れ、これをもって、供養とする者、 これらの人々は、無量の佛に出会い、仏道を成ずるのです。 私から見れば、人々は欲に溺れ、盲目のように見えるのです。 少智の者は小法を願い、自ら佛と成れる事を信じません。 ですが、皆、仏種を持っており、仏種は、縁によって起こるのです。 鈊根小智の人、著相?慢の者は、 是の法を信ずること能わず 今、我正直に方便を捨てて、但、無上道を説く 佛が世に顕れることは本当に少なく、出会うことは 復 難しいのです。 世の悪人はこの一乗を聞いても信受することなく、 法を謗り 悪道へと堕ちてしまうでしょう。 舎利弗よ。 佛の法とは万億という※11方便を用いて語られますが、唯 一仏乗を説くのです。 あなたは自ら佛と成れることを、喜びをもって受け入れなさい。 妙法蓮華経巻第一 (妙法蓮華経譬喩品第三へ続く) |