妙法蓮華経信解品しんげほん第四


  その場には須菩提しゅぼだい迦旃延かせんねん摩訶迦葉まかかしょう目連もくれんら四人の偉大な弟子たちがおりました。
  彼らはこの未曾有の法と舎利弗しゃりほつが授記されたことに感激して立ち上がり、
  衣服を整え ※1右肩をあらわにし、右ひざを地につけ、釈尊を敬い、このように言ったのです。

   我等は、この座の中でも年長であり、上座を占める者であります。
  しかし、今まで自らは、涅槃ねはんを得ているものと思い、
  阿耨多羅三藐三菩提あのくたらさんみゃくさんぼだいを求めようとは致しませんでした。
   なぜなら、釈尊は我等を涅槃ねはんへと導いてくださいましたので、
  その地に安住しておりましたからです。
  ですが、このような法を聞き、今 我等は、阿耨多羅三藐三菩提あのくたらさんみゃくさんぼだいにおいて、
  喜びの心を生じるのが感じられました。

   こころはなは歓喜かんぎし 未曾有みぞうなることをたり 。
   ふかみずか慶幸きょうこう
   大善利だいぜんりたりと 無量むりょう珍寶ちんぽう も とめざるにおのずかたり

  我等は譬喩ひゆによって、この義を語りたいと思います。

   たとえば、ある子供が幼い時に父を捨て遠い国で暮らしていたとします。
   そうして十年二十年 ついには五十年の歳月が流れました。
   すると、その※2窮子ぐうじはひどく困窮こんきゅうし、諸国を放浪するまでに落ちぶれました。
   一方、父の方は子を探しましたが得られず、城を建てそこに住んでおりました。
   その豪邸は多いに富み、無数の財宝と数多くの使用人がいたのです。
   しかし、この長者にはつねに思い悩んでいることがありました。
   「老いて財をしたが、これをぐ子はいない。私が亡くなった後、
   この財物は皆 散失さんしつしてしまうであろう。あの別れた子に譲る事が出来れば良いのだが。」

   ある時この窮子ぐうじが父の城にやって来ました。
   彼がこの豪壮ごうそうな邸宅に目をやると、立派な人物が宝玉にいろどられた部屋の中で
   獅子の座に座り、周りを貴族や使用人たちが取り囲んでいる光景が見えました。
   窮子ぐうじはこれは王か それに等しいかたに違いないと思い、
   自らが場違いなのを後悔し、恐怖くふを抱いてその場を離れたのです。
   その時、父である長者はこの姿を見て 一目ひとめで我が子であるとわかりました。
   そして、あの者を捕らえてくるようにと使者をつかわしたのです。
   窮子ぐうじは捕らえられ、驚愕きょうがくおびえきってしまいました。
   その有り様を見た長者はこの子と自らとの境涯の違いを知り、その窮子ぐうじを離すように言いました。
   窮子ぐうじが去った後、長者は一計を考え 次に二人の使者を遣わしました。
   そうして 二人はこの窮子ぐうじに会うとこのように言ったのです。
   「ウチの御主人様が便所のくみ取りの仕事をする者をさがしている。
   給金きゅうきんは、他の倍出すそうだから、お前やってみないか。」

   すると窮子ぐうじはその仕事を引き受けることにしました。
   彼はこうして長者の屋敷でくみ取りの仕事を始めました。
   ある時 父である長者が窮子ぐうじを見ると、汚れた着物を着て仕事に疲れているように見えました。
   そこで長者は衣を脱ぎ 同じような不浄なものを身にまとい、窮子ぐうじに近づきました。
   そうして汲み取りを手伝いながら、我が子に言ったのです。
   「お前はこの屋敷にいるとい。よそへ行ってはいけないよ。
   そのうち給金きゅうきんも増えることだろう。私を父親だと思って何でも聞きなさい。」
   窮子ぐうじはこれを聞いて喜びはしましたが、自らが貧しいのを卑下ひげして
   その想いから抜け出すことはありませんでした。
   そうして、窮子ぐうじは二十年もの間くみ取りの仕事を行い、
   最後にはこの城の財宝の管理を任されるまでになりました。
   窮子ぐうじは立派に財産を管理し、大志を抱くまでになりましたが、
   自らを卑下ひげする心から離れることは遂にありませんでした。
   そんな時 長者は自らの死期を感じ、枕下まくらもとに国中の王族や貴族を集めました。
   そして、宣言したのです。
  「皆様、ここにいる者は 実は私の子なのです。私には昔 別れた子がいました。
   この者こそ その子なのです。彼は私の財 全てについてよく知っています。
   私の物の全てはこの子のものなのです。」
   すると窮子ぐうじは驚きと共に喜びを得、予期せずに莫大な財宝を自然に手にしたのです。

   この長者とは即ち佛のことであり、窮子ぐうじとは我等のことであります。
   我等は※3佛子ぶっしであるにもかかわらず、数多くの苦しみや悩みを持ち、智 無きが故に
   小法を求めておりました。しかし釈尊は我等を小智から仏法の宝蔵ほうぞうへと導かれたのです。

    我等われら今日こんにち未曾有みぞうなることをたり さき所望しょもうあらざるを
    しかいまおのずからること、窮子ぐうじ無量むりょうたからるがごと

  小法を願うが故に、釈尊は方便力を用いて、我等の心を柔伏にゅうぶくし、この教えを説かれました。
  私達が大いなる法を求めた時、佛は大乗だいじょうを説かれるのです。

 妙法蓮華経巻第二


    (妙法蓮華経薬草喩品第五へ続く)
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 ※1 古代インドにおける 尊敬・敬いをあらわす作法
 ※2 貧しい子という意味
 ※3 佛の子という意味