すると釈尊は、諸々の菩薩、及び一切の大衆に向かって述べられました。 皆 當に如来の真実の言葉を聴きなさい。 その秘密神通の力を。 すべての者は、私が釈迦族の王宮を出た後、 行を修め、阿耨多羅三藐三菩提を得たと思っています。 然るに善男子。 我 實に成仏してより已来 無量無辺百千万億那由他劫なり 例えば、五百千万億那由他阿僧祇の三千大千世界をすべて塵として 東方五百千万億那由他阿僧祇の国を過ぎて後、 一塵を落としていったとしましょう。 この塵が無くなった時、いくつの国を越えるのであろう。 だれかその国の数を測れる者はいますか、弥勒よ。 弥勒菩薩は答えました。 「いえ、そのような数は無量無辺にして心力が及ぶところではありません。 諸の善男子 今 當に分明に汝等に宣語すべし これらの国一つを一劫としましょう。 私が、成仏したのは、実にそれより百千万億阿僧祇劫以前のことなのです。 それ以来、常にこの娑婆世界に在って、法を説いてきました。 また 他の百千万億阿僧祇の国々に於いても、衆生を導いてきたのです。 もし、衆生が我が所に来たならば、佛眼によって、その衆生の利根を観じ 度すべき所に随って、種々の方便を説き導くことでしょう。 佛が説く経典は皆、真実にして、虚しいものなど無いのです。 所以は何ん、 如来は如實に三界の相を知見す 生死の若しは退、若しは出あることなく 亦在世及び滅度の者なし 實に非ず。虚に非ず。如に非ず。異に非ず。 三界の三界を見るが如くならず 斯の如きの事、如来明かに見て錯謬あることなし 佛の寿命は未だ尽きず、先の数に?したものです。 しかし滅度を現し、それによって衆生を導きます。 なぜならば、もし佛が久しく世にいるならば、徳薄き人々は 五欲を貪り、敬いの心を起こさないことでしょう。 それ故に、佛は方便をもって説くのです。 例えば、あるところに腕の立つ良医がいたとしましょう。 彼には、十・二十・乃至百人の子供がいました。 ある時、良医が遠くの国に出かけている間に その子供たちは、誤って毒薬を飲んでしまったのです。 しばらくすると彼らは苦しみ始め、やがて父が帰ってきた時には苦しみの為 心を失っている者もいたほどでした。 するとそれを見た父は、すぐに味良き薬を作り、子に与えたのです。 心穏やかな者は、それを飲み病癒えたのですが、 心を失っている者たちは、苦しみつつも、薬を飲もうとはしませんでした。 その姿を見た父は、このように思ったのです。 此の子?むべし。 毒に中られて、心、皆顛倒せり 我を見て、喜んで救療を求索むと雖も 是の如き好き薬を、而も肯て?せず 我 今當に、方便を設けて、此の薬を?せしむべし そして次のように言いました。 「お前たち、私は年老いていつ死ぬかわからない。 この良き薬はここに置いておくので 飲もうと思うなら、飲みなさい。 そうして他国に赴き、使いを出して、父が亡くなった と伝えさせました。 それを聞いた子供らは大いに悲しんだのです。 やがて彼らは、父の優しさを思い出し、正気を取り戻してきました。 そして、その味良き薬を手に取ったのです。 すぐに病は癒えました。 そうして父は家に帰ったのです。 善き者たちよ、この良医の妄語を責める者がいるであろうか。 佛もこのようにあるのです。 成仏してより無量無辺百千万億那由他阿僧祇劫、 衆生の為に方便力によって滅度すると言うのです。 これを虚妄の過として責める者はいないであろう。 その時に世尊は重ねて此の義を述べられました。 私が佛となり得たのは、遙か 遙かな昔のことである。 それ以来 私は法を説き続け、この世のものたちを導いてきた。 あと幾許も経たない内に私はこの生を終えるであろう。 だが、それはこの世を離れるのではなく、その後もこの世を見守る為である。 もし 善きものたちが私の姿を見ようと一心に求めるならば、 私とこの場にいるものたちは再び霊鷲山に姿を顕わすであろう。 そして、「私は常に此にあって法を説いている。 その法を聞きたいと願うものがいる処、 如何なる処に於いても姿を顕わすであろう。と語るのだ。 世の人々に私の姿は見えず、彼らは悩み 苦しみの海に溺れているかのようである。 しかし、その心が渇望する時、私は顕れ法を説くであろう。 世のものたちがこの世界を見て 焼け尽きていると感じる時でも、 私の国土は天から華々が降り注ぎ、様々な伎楽が奏でられ、 神々や人の楽しき処なのである。 だが、佛や如来の吊も聞かず苦しんでいるものたちにとって、 この世は怖しく無数の悲しみが満ちているものなのだ。 しかし 柔和にして素直なるものは私の姿を見て法を聞くであろう。 私は過去幾億千という行を修し、このような寿と力を得たのである。 佛の言葉は偽りではないのだ。私は世の父、諸々の苦しみを救うものである。 今 私の姿が此にあるが故に 無知なるものたちは驕り、 欲に溺れて悪道へと歩むであろう。 それ故にあとわずかでこの仮の生を終えようと思う。 私は全てのものたちが何を為し、何を為していないかを知って、 それに従って常に無数の法を説いている。 そして私はいつも願っていることがある。 すべてのものを導いて、速く佛となってもらいたい、と。 我 佛を得てより来、経たる所の諸の劫数 無量百千万億載阿僧祇なり 常に法を説いて、無数億の衆生を教化して佛道に入らしむ 爾しより来 無量劫なり 衆生を度せんが為の故に方便して、涅槃を現ず 而も實には滅度せず 常に此に住して法を説く 我 常に此に住すれども 諸の神通力を以て 顛倒の衆生をして、近しと雖も而も見ざらしむ 衆、 我が滅度を見て、広く舎利を供養し 悉く皆 恋慕を懐いて、渇仰の心を生ず 衆生 既に信伏し、質直にして意柔軟に 一心に佛を見たてまつらんと欲して、自ら身命を惜まず 時に我及び衆僧、倶に霊鷲山に出ず 我 時に衆生に語る、常に此にあって滅せず 方便力を以ての故に、滅上滅ありと現ず 餘国に衆生の、恭敬し信楽する者あれば 我復彼の中に於て、為に無上の法を説く 汝等 此れを聞かずして、但我滅度すと謂えり 我諸の衆生を見れば、苦海に没在せり 故に為に身を現ぜずして、其れをして渇仰を生ぜしむ 其の心恋慕するに因って、乃ち出でて為に法を説く 神通力、是の如し、阿僧祇劫に於て 常に霊鷲山、及び餘の諸の住処にあり 衆生劫尽きて、大火に焼かるると見る時も 我がこの土は安穏にして,天人 常に充満せり 園林、諸の堂閣、種種の寶をもって荘厳し 宝樹 華果多くして 衆生の遊楽する所なり 諸天 天鼓を撃って、常に諸の伎楽を作し 曼陀羅華を雨らして、佛及び大衆に散ず 我が浄土は毀れざるに、而も衆は焼け尽きて 憂怖 諸の苦悩、是の如き悉く充満せりと見る 是の諸の罪の衆生は、悪業の因縁を以て 阿僧祇劫を過ぐれども、三寶の吊を聞かず 諸の有ゆる功徳を修し、柔和質直なる者は 則ち皆 我が身、此にあって法を説くと見る 或時は此の衆の為に、佛壽無量なりと説く 久しくあって乃し佛を見たてまつる者には、為に佛には値 |