その時に弥勒菩薩は釈尊に言いました。 「もし善き者たちが、この法華経を聴いて※1随喜す るならば、どのような福を得るのでありましょう。」 すると、世尊は、このように答えられました。 私が滅度した後、法会にて、この経典を聴き随喜の心を起こした者が 父母や親族、また友人たちに、その力量に応じて、法を説いたとしましょう。 そして、この話を聞き、歓喜した者が、また違う者に話したとします。 そのようにして、五十番目に随喜した者の功徳は、 例えば、世の全ての人や生き物に、八十年もの間、財物を供養し その後、仏法によって、彼らを導いた行者の得る功徳よりも大きいのです。 かの行者の功徳は、五十番目に法華経の、一偈を聴いて歓喜した功徳の 百分・千分・百千万億分の一にも及ばないのです。 ※2展転して、法華経を聴く功徳は、このように無量無辺阿僧祇でありましょう。 ましてや、その最初に法華経を聴いて喜びを得た者の功徳は、さらに大きいのです。 もし、この経典の為に僧坊へ赴き、その話を聞くならば、 その者は、かの功徳によって、天人の中に生まれ、上妙の寶を得て、天宮へと至ることでしょう。 そして、僧坊での座処を譲るならば、後に帝釈・梵天王の座処が与えられ 共に行こうと、勧めるならば、陀羅尼菩薩に見守られて、顔形は良くなり、智慧を授かるのです。 一人を勧めて、往いて法を聴かしむる功徳、此の如し 何に況んや、 一心に聴き、説き 読誦し、而も大衆に於て、人の為に分別し、説の如く修行せんをや (妙法蓮華経法師功徳品第十九へ続く) |