妙法蓮華経観世音菩薩普門品かんぜおんぼさつふもんぽん第二十五


  その時に、無尽意むじんに菩薩は右肩をあらわにし合掌を以って立ち上がると、
 「世尊、観世音かんぜおん菩薩はなぜ観世音かんぜおんと云われるのでありましょう。」
 と釈尊に問いました。

  善き者よ。
  人々が悩める時に この観世音かんぜおんの名を聞いて一心に唱えるならば  
  その者は必ずや世の迷いから離れるのです。  
  もし、観世音かんぜおんの名を心に持ち、その力を念ずるならば、
  その者は、火難かなん水難すいなんう 事は無いでしょう。
  また、女性が子を求めるならば、智慧豊かにして、人々に愛される子を授かるのです。 
  さらに、世の悪しき者たちに襲われる事は無く、諸々もろもろの欲から離れることでしょう。
  それ故に皆、観世音かんぜおん菩薩の名をたたうやまうのです。
  それにより限りない功徳を得ることでしょう。  

 すると、無尽意むじんに菩薩は
 「世尊、観世音かんぜおん菩薩が法を説かれるさまはどのようなものでありましょうか。」
 とたづねました。

  善き者よ。
  観世音かんぜおん菩薩が法を説くときとは、
  出家しゅっけの身を以って説くべき者には、その姿となり、
  天の神々の姿を以って導くべき者には、その姿を示すのです。
  また、王や臣下しんか、子供の身を以って説くこともあるでしょう。
  この故に、観世音かんぜおん菩薩をうやまいなさい。

 すると、無尽意むじんに菩薩は、
 「世尊。私は今、この首に掛けましたる宝珠ほうじゅを、観世音かんぜおん菩薩にささげたいと想います。」
 そう言って、首の※1瓔珞ようらくを外しました。
 しかし、観世音かんぜおん菩薩は、それをすぐには受けようとはしなかったのです。
 「観世音かんぜおんよ。無尽意むじんに菩薩、そして、なにより一切の衆生・天の神々をあわれむが故に
 その瓔珞ようらくを受けるのです。」
 このように釈尊は、勧められました。
 すぐさま、観世音かんぜおん菩薩は、その瓔珞ようらくを受け取りました。
 そして それを二つに分けると、一方を釈尊へ、もう一方を多寶塔たほうとうへと捧げたのです。

 それを見守られた釈尊は、次のように述べられました。

  なんじ 観音かんのんぎょう
  もろもろ方所ほうしょおうずる 弘誓ぐせいの深きことうみごと
  衆生しゅじょう 困厄こんやくこうむって、無量の苦身くみめんに
  観音妙智かんのんみょうちちからく世間の苦を救う
  観世音浄聖かんぜおんじょうしょうは、苦悩くのう 死厄しやくおいて、ため依怙えこれり
  一切の功徳をして 慈眼じげんをもって衆生しゅじょう
  福聚ふくじゅうみ無量なり。ゆえ頂礼ちょうらいすべし。

 すると、持地じじ菩薩は座より立ち上がり、
 「世尊、この観世音菩薩品かんぜおんぼさつぽん神通じんづうを聞く者の功徳は、はなはだ多いことでありましょ う。」
 と述べました。
 この時 座に連なる八万四千人の者たちは
 阿耨多羅三藐三菩提あのくたらさんみゃくさんぼだいを求める心を起こしたのであります。


   (妙法蓮華経陀羅尼品第二十六へ続く)

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 ※1菩薩や神々の首などにかけられる装身具
  寺院の堂内における飾り部分の名称としても使われる